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サーキット場で闘うライダーたちを支えた人



コカ・コーラ ゼロ 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第34回大会 決勝 

鈴鹿8耐で有名なロードレース世界選手権大会。
このレースはF1に次ぐ国内のモータースポーツのビッグイベントです。
過去には数多くのドラマが繰り広げられちょうど私の年代の人間は鈴鹿8耐に大きな憧れを持った方も少なくありません。
今から30年前は凄い人気でスタンドも満席なほどの活気にあふれていましたが、残念ですが近年におけるモータースポーツの低迷の影響で観客数も激減しています。
テレビで観戦するのとは全く異なる 臨場感。
生でこのレースを見る醍醐味は多くの方に感動を与えてきたことでしょう。
モータースポーツに関心がない方にも実際、サーキットで時速300キロ近いスピードで走行するマシーンを目の当たりにすればきっとファンになってしまうのではないでしょうか?
全てのスポーツの中で最もリスクが高く死亡率も高いと言われている二輪のレースは人間と最先端マシーンの融合した見事なショーなのです。
多くのトップライダーたちはライダー人生で一度は死に直面するほどの事故と遭遇されています。
まさしくサーキット場での格闘技。
2010年も日本は2名の有名なトップライダーを失いました。
大きな悲しみに包まれてもライダーのチャレンジ精神は減速しません。
私自身 ライダーと挑んで5度目のチャレンジとなる鈴鹿8耐。

今年こそ 優勝の栄光を!と挑みました。
5度目のチャレンジには大きなドラマとそのドラマを支えるスタッフの地道な努力がありました。

 
前評判通り3強がぶつかり合った鈴鹿8耐決勝。F.C.C. TSR Hondaの秋吉耕佑/伊藤真一/清成龍一組が総合力で優勝。


この優勝で伊藤、清成は4度の優勝(歴代2位)、秋吉は2度目(HONDAに移籍して初)。歴史に残るほどの名勝負、最強、最速メンバー3名に立ちはだかった アクシデント赤旗による予選4位の結果と清成のスタートまもない転倒。この試練が最強ライダー陣を目覚めさせたのです。
4位は2010年 全日本ロードレース最終戦前に秋吉の総合ランキングでした。大逆転で総合王者を獲得、また、2010年8耐では清成選手のチームが4位から逆転の優勝。決勝前夜、4位は優勝のメッセージで縁起がいい順位だから必ず優勝できると私が秋吉に伝えると必ず優勝すると約束してくれました。
ポールポジション獲得が当然の使命と周囲から求められた秋吉耕佑のタイムアタックは天候ではなく赤旗中断で阻止されました。
転倒事故がなく赤旗中断がなければ確実に2分7秒台の最速タイムでポールポジション獲得していたと思います。
しかし、この予選4位という結果があったからこそ 決勝では圧巻の走りで実力を見せつけることができたのではないでしょうか。
ポールポジション獲得の栄誉より 決勝での優勝。
歴史に名を残す 王者に。

決勝前、秋吉耕佑は私と2009年のリベンジを果たし 被災地に少しでも勇気を届けられるよう伊藤真一選手の優勝をサポートしようと誓ったのでした。


決勝当日、何と 10年前に私どものチームで第一ライダーとして走っていただいた 徳野政樹氏と宿泊ホテル朝食会場前で偶然にもお会いしました。こんな縁があるのですね。ワイン・ガードナーと組んだ日本人初優勝の快挙を果たした名ライダーと決勝直前に会う。優勝のメッセージか!?

決勝は近年にないほどの白熱した闘い。
転倒によるマシーントラブルも跳ね返す 王者のプライド。


ポールショットこそヨシムラの加賀山就臣が奪うが、TSRのスタートライダーを務めた清成が、オープニングラップでトップを奪うと、そのままレースを引っ張りました。途中、ヘアピンでまさかの転倒を喫してしまっても、驚異的な速さで戦列に復帰。転倒してもマシーンを手から離さずマシーンダメージを必死に防ぎました。被害を最小限に抑えるが、ピットインの際にマシンの修復に時間がかかってしまいタイムロス。そこから伊藤、そして秋吉が驚異的な走りでファステストラップをマークして追い上げ奇跡の逆転劇、清成も4回走行。ラスト2時間は、ヨシムラとTSRの一騎打ちとなりますが、最後のスティントで清成が加賀山の追走を許さず、圧巻の走りでそのままトップでチェッカー! 秋吉/伊藤/清成組がヨシムラ加賀山/ジョシュ・ウォーターズ/青木宣篤組に38秒765差をつけ優勝を飾りました。3位には1分31秒162差でMuSASHi RT HARC-PRO.の高橋巧/玉田誠/岡田忠之組が入り、トップ3が217周を記録。
2009年、優勝候補最右力と言われた秋吉/伊藤組が秋吉の転倒で9位に終わりヨシムラ優勝。2010年、ファーステストラップを2年連続でたたき出したにもかかわらず 秋吉のペアライダーのジャナサン・レイ転倒による3位。2011年は清成転倒でも優勝。ついにリベンジを果たしました。
1985年鈴鹿8耐 日本人初優勝を果たした 徳野政樹を擁してチーム結成2001年出場した依頼 悲願の8耐優勝の私の願いを秋吉耕佑が叶えてくれました。

今回、万全を期すため最強、最速ライダー陣が導入したのは
1:エアナジー  http://www.sakae-clinic.com/airnagy01/
2:パワープレート http://www.topathlete.co.jp/powerplate/
3:サプリメント  http://www.os-1.jp/
4:メディカルトレーナー http://www.topathlete.co.jp/menu02/
5:フィジカルトレーナー http://www.topathlete.co.jp/menu02/
6:アスリートドクター http://www.topathlete.co.jp/menu04/#daihyou
7:コンディショニング http://www.topathlete.co.jp/menu01/

秋吉耕佑には過去3年間 どんな状況下でも平常心を保つため 呼吸法、タッピングによる自律神経コントロールメソッドによるコンディショニングを実施していました。今大会ではこのコンディショニングがマシーントラブルのハンディを見事跳ね返し最速タイムでの逆転劇を演出できました。


セル・トレーニングを導入し心、肉体、自律神経機能を飛躍的にアップした秋吉耕佑は今春のマレーシアでのテスト中の転倒事故で左手首を骨折したにもかかわらず短期間で復帰。JSB第1,2,3戦とも断トツの速さで完全優勝、昨年から5連勝。


仲田健トレーナーによる体幹トレーニングで強靭な肉体を得た秋吉耕佑はバランスの良い最速の走りを披露しました。

 
鎌田貴トレーナーによる徹底した基本トレーニングで強靭な肉体を得た 伊藤真一、そして清成龍一は芸術的な王者の走りを見せたのでした。

 
トップライダーは極限のライディングを常に行うため身体にかかる負荷は半端なものではありません。


今回は、国内の多くの世界的アスリートをケアする 柴田康博トレーナーもライダーのケアに当たりました。
これによってライダーは最高のコンディションでライディングを継続できたと思います。
ハードであるマシーンはTSRスタッフが完璧にサポートし、ソフトであるライダーの心、身体、魂をメディカルトレーナー、フィジカルトレーナーが完璧にサポートしました。

 
TSRチームスタッフはライダーはもちろん、マシーンのセッティング、レース戦略を担当。

 
メディカル・フィジカルチームスタッフはライダーのコンディショニング、ケアを担当。


今回の圧巻の走りの裏には ライダーたちの地道なトレーニングとケア、それを支えるスタッフやトレーナーの支援がありました。
まさしくチーム力の勝利だったとライダーも私どもも実感しています。
応援していただいたスポンサーの皆様、ファンの皆様のサポートも大きな力となりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 
 最高の成績を残せたことを感謝させていただきますとともに微力ながらチームの一員として闘えたことを誇りに思います。
モータースポーツの素晴らしい感動を一人でも多くの方に味わっていただきたいと願っています。

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